話してませんでしたね。
インドでカレーも食べてみたいし、喜望峰にも立ってみたい。
ナポレオンが歩いた道も歩きたいし、ラクダにも乗ってみたい。
いろんな人の価値観を知りたい!
っていうのが今の夢。
バックひとつで世界を歩きながら、人それぞれの価値観を感じ、エッセイを描く。
同じ境遇の人なんてこの世に1人もいないから。
ちょっと怖いけど、
新しい世界を見るために。
2年ぶりですかね〜
"Welcome to my journey“
ようこそ俺の人生へ。
津原璃緒
2023.7.27
それから1ヶ月経ち、
その人から連絡が来た。
うちに遊びに来いと。岐阜でJr.ユースチームをしているということは知っていた。
その人がどんな教え方をしてるのか、考えただけでワクワクした。
沖縄へ行く前日、その人のチームへ遊びに行った。
沖縄での仕事、知り合いの方も紹介してくれたその人と別れ、沖縄に飛んだ。
就職する気なんてなかった。
何かに没頭したくて、仕事を辞めた。
180万あった。
たった180万かもしれないけど、19歳の俺にとっては大金でなんでもできる気がした。
その社長の車に乗り込み、話をする。
2時間くらいかな、、話が途切れることはなかった。
その人はブラジルでプロサッカー選手をしていたという。
俺も高校まで本気でやってたからすごいくらい話があった。
東京まで連れてきてもらい、
その日は別れた。
もう会わないだろうと思っていたが、
その人と話したワクワクが忘れられなかった。
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お金
という概念が無くなった時、
あなたは何をしますか?
俺はきっと世界を旅すると思う。
今だから言える。
自衛官時代の俺だったらきっと言えなかっただろう。
そんなコト、以前の自分だったら考えなかった。
でも、考える機会がありすぎてさっ、
人生におけるお金の立ち位置について、
自分の心の立ち位置について。
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week5
DAY28
今日も予定なんかなくひたすらボケーっとする。
何かやりたいことがあって辞めたはずだった
自衛隊。
こんな生活したいんじゃなかった。
ただボケっとする。
九州最南端の砂風呂に入らながら見る
戦国時代ぶりの月食、
今年1の贅沢な時間だったなぁ。
戦国の人達はどんな気持ちで見ていたのだろう。
DAY29
夜まで指宿の図書館で時間を潰す。
この旅ももうすぐ終わる。
このブログを書くために慌てて4日間を思い出す。
久しぶりに1人になって自分と向き合った。
この旅はありがたいほどに人に恵まれて、
1人にならなかった。
ほんとありがたいけど、
自分の中で1人の時間は大切だったんだって初めて感じた。
寂しがりやのくせに1人の時間はしっかり欲しい。
贅沢な自分の弱さを感じた。
夕方に鹿児島県唯一の友人マコちんに会い
夜は鹿児島のサッカーチームの練習に参加。
とてつもない体力の衰えを感じ、チームの1人牧角さんのうちに泊めていただいた。
理学療法士をしながらサッカーする先輩に憧れを抱きながら眠りについた。
DAY30
この旅ももう1ヶ月。
今日からヒッチハイクで家に帰ることにした。
理由はお金がないから。
牧角さんに感謝を伝えて家を出る。
諦めてばっかだったこの旅のラスト。
ラストぐらいはしっかり達成して次に繋げよう
そう決めて画用紙を掲げた。
夜22時広島についた。
静岡に行くと言っていた方に乗せてもらっていたが広島で降ろしてもらった。
久しぶりに会いたいやつがいて。
DAY31
高校の同期と再開し、そいつの彼女と3人で広島観光。
謎3人だったけどめっちゃ楽しかったなぁ。
あのモヤモヤした気持ちと向き合いながらの観光はなんとも複雑な気持ちだったけど。
DAY32
広島に別れを告げ、SAへ。
色んな人に乗せてもらい、
三重へ入ったのは26時過ぎ。
DAY33
深夜2時の御在所PA
午前7時スタバの前で爆睡こいてた俺に奈良で建築関係の仕事をしている社長さんに声をかけていただき
ヒッチハイク史上初めて自宅まで送っていただいた。
摩訶不思議。
なんと0円で家まで着いてしまった。
この国は怖いぐらいに優しい。
この国に生まれたことに1番感謝した日だったなぁ。
と同時に、家での居候生活が始まった。
DAY34 〜DAY46
居候生活
ただぼーっとする。
日本の恥って本当に思ってたけど、
次の仕事はこだわって決めようって
テキトーに決めたらまた自衛隊時代みたいに心ここに在らず状態が見えて。
何も動けなかった。
ハローワークと図書館、家。この繰り返し。
うんざりしてた。
DAY47
見事に完成したクソニートは
単発バイトのため名古屋に行った。
約2ヶ月ぶりの仕事は受付のスタッフだった。
初めて会ったお母さんたちとひたすら受付の業務をした。
8時間。
楽しかった。
久しぶりにした仕事はお金を稼ぐ以上の楽しさと満足感があった。
仕事をするって、人と関わることなんだって
社会に自分の居場所を作っていくことなんだって
はじめて気づいた。
今まで自分の居場所があることが当たり前すぎて、気づかなかった。
その夜、名古屋の友達とご飯に行った。
そいつは夢を追いかけて名古屋の専門学校に行ってて、俺からしたらキラキラしてた。
小さい頃からの夢を叶えるために頑張るそいつを見て心を押された気持ちになった。
自分の人生を生きようって。
動かなきゃ何も変わらない。
そいつのことは今もずっと尊敬してる。
大好きなあいつと別れた後、
その足で電話をかけた。
今まで会った中で1番ワクワクした人に。
1週間ノーギャラで働かせてくださいって。
DAY48
早朝、2つ返事でオッケーしてくださり、父さんが使わなくなった作業着を握りしめて、岐阜へ向かった。
DAY49
ニートになって75日目の朝、
セブンのWi-Fiを撤去する俺がいた。
第二の仕事をはじめるきっかけは人だった。
環境じゃなくて人だった。
最初の就職は環境で決めた。
自分の中でものすごく恐ろしく成長できそうな環境に身を置きたくて就職した。
もちろん厳しかったし仲間もできて楽しかった。
一緒にヘロヘロになるぐらい頑張った後のおしゃべりタイムが大好きだった。
でも、
そこが俺の人生でやりたいことだったのか
自分の理想と今の環境のギャップに違和感を感じはじめてから仕事に力が入らなくなった。
そんなやつに構ってくれるやつなんていなかった。
負のスパイラルがはじまり、先輩も同期も俺に寄り付かなくなった。
結論から言うと、
環境から逃げた。
逃げた先には何もないに決まってる。
そんなやつの沖縄生活うまくいくはずがない。
色々間違えたこの約2年間で学んだ。
自分の心に逆らわないって
現実から逃げない
そう決めた。
この74日間は俺の人生にとって必要不可欠な時間だった。
たとえ誰に何を言われようとケロッと笑えるぐらい大事に育てた時間だから。
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終
おわりに
今回なぜこのブログを書いたのか、
結論から言うと あの時の本心を誰かと共有したかったから。
カッコつけたい年ではありますが、本音で書かせていただきました。
あと、語るの大好きなんでその衝動を抑えるために。。
世界一の寂しがりやなんです!笑
共感、ダメ出し等、いつでも受け付けておりますので、連絡ください。
自分に興味を持ってくれた方、
このブログからはお答えできないので下記DMまで。
ご愛読いただきありがとうございました。
このブログで何かを想ってくだされば幸いです。
2023.2.11
津原璃緒
あれから14日後、、
名古屋ヒルトンにて。
人生何があるかわからない。
ギャップイヤー
欧米圏ではギャップイヤーという道を選択する人が多いという。
1年就職も進学も先延ばしにして、いろんな経験しよーって年。
要は捉え方次第ってこと。
捉え方次第でニートもなんでも人生の大切な時間になる。
少なくとも俺はできない。
1人だと甘えてしまうから。
自分を律することができるようになった時、俺のギャップイヤーがはじまると思う。
だから、ニートになって考えたコトは
5 であり、完結ではないのだ。
finale
話を戻します。
お金という概念が無くなった時、
あなたは何をしますか?
完