week4
DAY22
あっという間の沖縄生活。
長かったような短かったような。。
色んな感情を抱きながら、
今帰仁をあとにする。
絶対また来るって自信があるから寂しくなかった。
成長して帰ってこようと心に決めて。
夕焼けの沖縄を背に那覇で借りた軽で走る。
そのまま名護市へ。
失敗した世田谷ベースのようなところに彼は住んでいた。
比嘉さん。何歳かはわからないけど笑
60ぐらいのふつーのおじさん。
ただ僕が今まで会ってきたおじさんとは雰囲気もタイプも違った。
話が止まらない。
喋っても喋ってもまだ話は尽きないこのおじさんに誘われ、
電動バイクで名護の海辺を走る。
今でも何者かはわからない。
でもこの人といるとすげぇワクワクする
こんなおじさんになりたいなぁって思ったのは
確か。
真っ暗な名護の海。斎藤工が踊ったそのお墓の前でおじさんといっぱい語ったなぁ。
30分の予定が、3時間いてしまった。
今日は車を返さないといけない。
急いで那覇に戻る。
最後の夜はユーキさんのホテルへ泊まろうって決めててさ。
DAY23
どーせ帰るだけ。
飛行機で帰ろうかなって思ってたけど
静岡に予定なんてないし、仕事もない。
ゆっくり帰ろうかってフェリーを予約した。
フェリーは25時間。
ただただボケーっとしてた。
この旅は正解だったのか?
DAY24
朝起きてもまだつかない。
結局屋久島には風が強すぎて止まれず、
あっけなく人生で初めて九州に上陸した。
急いで屋久島へと向かう。
人生初の屋久島は思ったよりも心は穏やかな気持ちで上陸した。
世界遺産の島
お迎えにわざわざきてくださっていた将さんの車に乗って将さんの友達の家へ。
小さな古民家に着く。
一軒家はでっかい方がいいって思ってた俺にとっては考えられないくらい小さい家。
なんか憧れた。
俺の目にはとっても大きく映っていた。
本州、静岡にあったらなんだこれって思うような家が屋久島ではたくさんあった。
自然と共存している。
素直にそう感じた。
なんか好きだった。
屋久島に移住してくる人は結構多いらしい。
その多くが不便さを求めてやってくるという。
便利すぎる世の中から敢えて。
コンビニもATMもない。
一周車で3時間の小さな島、屋久島。
夜、将さんに招いていただき、BBQ。
その後初キャンプ。
屋久島の人はみんな何かを求めてここへやってきた人ばかりで、一緒にいるのが楽しくて。
まるで違う国に来たようなそんな感覚だった。
コーヒー農園作ってみようって将さん言ってたな笑
DAY25
将さんに車で観光に連れてってもらう。
目に映る全てがジブリで。
屋久島は湿気が多すぎて、植物がすぐ腐るという。
水がキレイな屋久島。
この島に来ると腐る人とキレイになる人の2パターンいるという。
俺はきっと前者だった。
この夜年に一回の花火大会があり、連れてっていただいた。
将さんには今も感謝しきれない。
DAY26
初心者には車を貸さんと言われたが、
どーしてもと言って貸してもらった車を擦った。
この夜、1日2回しか出ないという海の中の温泉へ
この旅の反省会をする。
後ろには山、前には海。
そして上には満点の星空。
あーなんて無計画だったんだろう。
中途半端に来でいい島じゃなかった。
明日帰ろう。
そう決めて見た最後の最後で屋久島は
僕の人生1の風呂に入れさせてくれた。
DAY27
三岳を飲みながら一人で朝日を待つ。
無事寝坊し、おじぃに車を返し屋久島を後にした。
多分、今じゃなかった。
中途半端に来たらダメなところだって感じた。
さまざまな想いをお土産に
高速船に乗り込む。
鹿児島へ着いたのは正午だったろうか、
高校2年?の頃ネットで知り合い笑
仲良くなった唯一のネッ友と初めて会う。
今までもこれからも尊敬し続けるであろうその子が港へ迎えに来てくれた。
霧島へ連れてってもらい、宿へと連れてってもらう。
なんだかんだで宿の女将とその子とバイクで日本一周している人とご飯を食べた。
とっても楽しい夜は一瞬で終わった。
この旅ももう終わり。
旅の終わりは寂しいけど、
次のステップが見えていた東海道とは違い、
今の俺には次のステップがない。
モヤモヤした気持ちで布団についた。